震災レポート⑧

 29日、ご近所の一人暮らしの方の家の片付けのお手伝いをした後、田村貴昭衆院議員とともに熊本市内の避難所を複数個所回りました。熊本市が避難所の運営や食事の提供、諸問題の解決にあたって指導的役割が発揮されてこなかったため、自治会やPTAの皆さん、学校の先生方がどんなにか苦労されてきたか、その一端が痛切に伝わってきました。すべての被災者が元の生活を取り戻せるようにとの願い、また復興に向けて政治の役割を大いに発揮してほしいという願いを重く、重く受け止めました。
 30日は個別の問題で県の関係部局の対応を確認した後、益城町エミナースやテクノリサーチパークで車中泊をしておられる方々の様子をうかがって回りました。その帰り道、知る人ぞ知る第二空港線のホットドッグ屋のおっちゃんに声をかけ、営業再会を喜びました。
f:id:yamanob:20160430135100j:plain
 「赤旗」でも紹介されていた「龍虎ラーメン」も営業再開しました!建物や器材も大きな被害を受け、開店以来空にしたことがなかったという秘伝のスープも失われた中で、地域の方々にボランティアで食料の提供をおこないながらの営業再開。希望の光を与えてくださるような奮闘に敬意を表しつつ、なじみのラーメンの味に舌鼓を打ちました。

震災レポート⑦  小池書記局長らとともに

 26日、地震発生後車中泊を続けておられる方々をたずね、状況やご要望などお聞きしました。帰るに帰れない状況の方、余震の不安から車中泊を続けておられる方、さまざまな困難の中で日々を送っておられました。行政がしっかり現状をつかみ、皆さんが正常な生活を取り戻せるよう支援していかなければなりません。
f:id:yamanob:20160427150100j:plain
 27日、熊本県に対し3回目となる、地震対策に関する申し入れを行いました。今回は秘書課長さんが忙しい中別室で対応していただきました。福田慧一宇土市議、佐野安春甲佐町議、竹原祐一阿蘇市議、田島敬一西原村議、甲斐康之益城前町議、上野哲夫宇城群委員長とともに申し入れ。申し入れ文書は山本のぶひろのホームページに掲載します。夜は阪神淡路大震災を経験した兵庫県から、党市議、県議、機関役員の皆さんが義援金をもって党事務所を訪ねてきていただき、意見交換などもさせていただきました。今後の私たちの取り組みにも大いに参考にさせていかなければならないと思います。
 28日、党中央に寄せられた義援金を、小池晃書記局長、紙智子参院議員らとともに熊本県熊本市益城町に第一次分としてお届けしました。その後紙智子参院議員と農業被害の調査ということで西原村の畜産、酪農農家を訪問しました。大きな被害を受けながらも、どうにかして再建をはかろうと皆さんが懸命の奮闘を続けています。その踏ん張りに希望を与えるような支援が必要だと胸に刻みました。

震災レポート⑥ 阿蘇、益城、熊本市など

23日、田村貴昭衆院議員、真島省三衆院議員とともに民主商工会の皆さんと懇談。多くの事業者が借入金で設備投資している中、地震被害で設備や財産も失い、収入も途絶えた方も少なくありません。生活や商売再建へ、気力や希望を失うことがないよう、債務の免除や凍結などの措置をぜひ国・県が積極的に打ち出すよう求めていかなければなりません。
 その後、阿蘇市の状況を視察。外輪山の山すその集落地域は斜面崩落の危険があるため大規模な避難勧告が出されていました。避難住民はなんと6,000人という規模。避難所の箇所を増やそうにも体制が取れないという悩みに直面していました。
f:id:yamanob:20160423165900j:plain
 この写真、おわかりでしょうか。亀裂をさかいに右側の地盤がなんと約1.5mも沈下しています。自動販売機やら隣の家が傾きもせずに垂直に落ち込んだようで、なんともすさまじい地震のエネルギーを感じました。
 夜は県災害対策本部に伺い、若干のご挨拶と意見交換をさせていただきました。
 24日、仁比そうへい参院議員、藤野保史衆院議員〈党政策委員長〉、大平喜信衆院議員が来熊。二度にわたり震度7の激震に見舞われた益城町を視察しました。
 私自身、益城町に入るのは地震後4度目でしたが本震後は初めて。前回訪問時には何とか無事だった家屋がことごとく崩壊し、住民の皆さんの苦しみはいかばかりかと胸が痛みました。
 総合体育館の避難所は通路にも毛布を敷いて休んでおられる人があふれ、避難者とボランティア、医療スタッフや自衛隊、各地から支援に駆けつけておられる職員などがごった返し行き来している状況でした。説明していただいた町職員の方は震災発生後、自宅にはほとんど帰れず避難所で対応に追われていました。京都からボランティアで駆け付けたという看護師の女性は、救援活動の中で避難住民から大きな信頼が寄せられるようになり、近く帰らなければならないことを告げると涙を流して残念がられたそうです。困難な状況の中でも、多くの皆さんの善意に支えられ、懸命の救援活動が続けられていました。
 午後は熊本市の指定避難所、指定外避難所を訪問。避難所の運営の問題や、おにぎり一個の支援すら全く届いていない指定外避難所の深刻な実態などお聞きして回りました。
 

震災レポート⑤ 川内原発稼動停止せよ!

 21日、「前震」発生から一週間が経過しました。避難所を連日回っていますが、様々な問題が次々に発生しています。ボランティアの方々の疲労も大きくなっています。連日ボランティアとして避難所につめていらっしゃる方に声をおかけすると、涙ぐんで感謝の言葉を述べられました。ご自身の家の被災も省みず、避難者の方々のために身を粉にして駆け回っておられます。本当に頭が下がる思いです。
 その一方、ちょっとしたいさかいも発生しています。避難所の運営、秩序、生活改善について考えていかなければならない時期に来ています。子どもを持つ保護者の皆さんも、小学校が避難所となっているため、一刻も早い学校再開を願いつつ懸命に頑張っておられます。なんとかこういった皆さんの少しでもお手伝いができればと、他県から届けていただいた物資をこの日もお届けしました。
 それにしても、避難所の食事が依然として改善されません。ライフラインの復旧がすすみ、店には食料が出回り始めているというのに、避難所では三度三度の食事の確保に四苦八苦しているのです。一方で「避難所への食料は足りている」と熊本市はおっしゃっています。まったく実態と合っていません。なぜこのような矛盾が起きるのかまったく理解できません。繰り返し現場の実態を市や県に伝え、一刻も早く事態を改善させるよう求め続けていかなければなりません。
 22日、熊本市議団と現状の問題について話し合いをおこないました。避難所の生活改善、医療・介護を必要としている方々への支援体制、生活と仕事の再建に向けて取り組むべき課題などについて市や県に働きかけていくことを確認しました。
 そして時間の合間を見て今日も支援物資を届けて回りました。
 夕方、党県委員長や水俣高岡市議とともに、熊本県にたいし「川内原発の稼動停止を国に求める」申し入れをおこないました。専門家も南西方面への断層の動きへの警戒を呼びかけている事、新幹線や高速道路がストップしているもとで、万が一にでも原発事故が起きれば住民は避難さえできず大変な事態になってしまう危険性を指摘し、原発の是非についての見解の違いを越え、地震活動が活発化しているもとでは原発の稼動停止を求めるべきだと訴えました。
 熊本県にたいし、これで地震発生後3回目の申し入れとなりました。それぞれの全文は「日本共産党 山本のぶひろ」に紹介しますのでご覧ください。
f:id:yamanob:20160422194000j:plain
 よる、龍神橋食堂の前を通ると暖簾がかかっています。中を除くと、なんと早くも営業を再開されていました。火曜日から店を開いていると聞いてなおさらビックリ。多くの皆さんが早く元の生活を取り戻せたらいいなと願いながらメンチカツ定食をいただきました。

震災レポート④

f:id:yamanob:20160419161031j:plain
 19日は臨時県議会。地震対応に県職員の方々も忙殺されているため短時間で終了。
 その後全員協議会が開かれ、県の対応状況についての報告がありました。
 議長より短時間に、簡潔に、最小限という条件で質疑が受け付けられましたので、私は3点、要望を県に申し上げました。
 第一に、現場では職員が不眠不休で対応に当たっているが、マンパワーが圧倒的に不足しており、全九州・全国に大規模に人的支援要請を県としておこなう事。第二に、今後の地震活動は予測で傷不測の事態に備え川内原発の稼動停止を政府に求める事、第三に、議員・議会と執行部が役割を補完しあいながら必要な活動を進めていくためにも、情報のやり取りのラインを確保していただく事です。その後いくつかの避難所に食料等配って回り、夕方、県に対し二度目となる申し入れをおこなって要望項目をまとめた文書を危機管理防災課長さんに手渡しました。
 課長さんはじめ職員の皆さんの邪魔にならぬよう早々に退出。しかし、こういう緊急事態ですから、知事はもっと積極的に全国に向けて必要な要請を発信しないといけないのではないでしょうか。
 よる、避難所から要請があった割り箸や紙皿、歯ブラシなど届けて回りました。

 20日、知的障がい者更正施設の好意で施設に避難されている方から「施設を出て行ってほしいといわれている」と相談の電話。訪問して話をうかがうと、C型肝炎、糖尿病、バセドー病、高血圧などの病気があり、自宅のアパートは水が出ない状況で、障がいを持つパートナーとともに行き場がなく途方にくれているとのお話でした。民間の病院、県や市などほうぼうに手を尽くしてみましたがなかなか受け入れ先を見つけることが困難でした。こういった災害では弱い立場の人達が多くの困難に見舞われます。益田牧子さんが相談者に寄り添い、あちこち同行されたり連絡されたり手を尽くし、解決に奔走しました。
 夕方、かつてしんぶん配達をしていた事からなじみの方が多い嘉島町に入り、読者さんらに声をかけ、差し入れを届けて回りました。

震災レポート③

f:id:yamanob:20160416152900j:plain
 写真は、地震で崩落した新幹線の防音壁です。落下した壁は下の道路を直撃していました。田村貴昭衆院議員とともに宇土市を訪問した帰りに発見したものですが、少なくとも十ヶ所を越える箇所で崩落していました。もし下に人や車がいたら大変な事故となったところです。JR九州にたいし、重大問題だと厳しく指摘しなければなりません。
 ところで、共産党の事務所には他県から食料や水などの救援物資が続々到着し始めていました。鹿児島県からは、市議選で35票差で涙をのんだ桂田美智子さんのご主人である桂田書記長先頭に、レンタルのトラックを交代で運転し、いっぱいに積み込んだ水を届けてくださいました。
 18日、北九州の文字・小倉地区委員会からは地区委員長さん先頭に約250食分の弁当、飲み物を運んできてくださいました。私は物資を次々に避難所に届ける活動をしていたので、届けてくださった皆さん方の全体を掌握していないのですが、続々と各県党組織から救援物資が届いてきています。感激で胸がいっぱいになります。感謝の思いでいっぱいです。
 渡鹿の集会所「鹿の家」では、松岡徹さん夫妻が避難者の皆さんへの朝食にむけ、共同作業でおにぎりを握っておられました。住民の苦難軽減のために力を尽くすという日本共産党の立党の精神を体現するような献身的な活動の広がりに、改めてこの党の一員である事に誇りを感じつつ、私も自分の立場から必要とされている活動に力を尽くさねばならないと決意しています。
 その後益田牧子さんと城西小、京陵中などに物資を届けるとともに、赤旗読者さんや党後援会員さんらの安否確認などに回りました。
 訪問の最中、別働隊の方から携帯に電話。知人のアパートを訪ねると部屋の中から「助けてくれ」との声がしたというのです。すぐ119番するよう伝えて現場に向かうと、ちょうどレスキュー隊の方々も到着したところでした。二階の窓を割って部屋に入り無事救出。「本震」から実に63時間が経過していました。
 もしかすると、一人暮らしの高齢者や障害者など、いわゆる「災害弱者」といわれるような方々がまだ発見されずに、助けを求めておられる人が他にもいるのではないかと感じました。一軒一軒を尋ねて安否を確認する事を一気におこなわなければ、助かる命も助からないかもしれません。このような甚大な災害が発生した時、いかに救助活動は初動が大切かということをこの数日間の活動の中で痛感した次第でした。
 

震災レポート②

 レポートの続き。
 16日午前1時過ぎ、ペットボトルの水で体を拭き、寝床に付こうと二階への階段を上がっていたその時、「本震」が襲いました。左右両方の壁にたたきつけられるほどの激震。「家がつぶれる!」と感じましたが声も出ませんでした。家は停電、幸い家は倒壊をまぬかれました。激しい余震が断続的に襲ってきます。家の中にいては危険だと考え、カミサンと息子は職場である病院に避難。私は避難所を訪問し、起きていた方々に声をかけて渡鹿の自宅に戻りました。横になりましたが余震が発生するたびに恐怖にさいなまれました。
 明るくなり、近所の様子をひとまわり歩いて確認。ご近所のBさんの元気そうな表情を見て安心。
 前日ご一緒した田村貴昭衆院議員が急遽再び熊本に来ていただくことになり、まず前熊本市議の益田牧子の案内で春竹小の避難所やその周辺で被災者の方々らのお話をうかがいました。
 その後熊本市の災害対策本部を尋ね、口頭で被災現場の要望をお伝えし、宇土市を訪問。市役所が半壊被害を受けたため災害対策本部のテントが駐車場に張られていました。
 宇土小、鶴城中学など避難所を訪問し、高齢者や赤ちゃんを抱えて避難されたご家族からお話を聞かせていただきました。
 水俣・芦北の党組織の皆さんが、真島省三衆院議員とともに渡鹿の集会所に避難されている方々のために食料を届けてくださいました。心から感謝・感謝です。
 17日、仁比そうへい参院議員が熊本入り。一緒に県の災害対策本部を訪ねました。エレベーターがストップしているため10階まで階段を上がり、この間の調査活動の中でまとめた要望書を提出。職員の皆さんの懸命の活動の邪魔にならぬよう早々に退出しました。
 その後西原村南阿蘇村をたずねました。西原村では田島敬一村議がお母さんを亡くしたばかりにもかかわらず、調査活動に同行してくださり、被害が大きかった布田地域など一緒に訪問しました。
 その後、トンネルや橋が壊れているため大きく迂回して南阿蘇村に入り、避難所となっている総合福祉センターを訪ね、お話をうかがいました。
 党本部に帰って災害対策会議に出席。会議終了後、避難所を回って食料や物資を届けました。
 届けるものがなくなったため本日の活動は終了。党事務所に帰るとなんと益田牧子さんがカレーを作ってくださっていました。しかも肉入り!益田さんのパワーと気遣いには驚嘆するばかりです。