イスラエルの蛮行・ガザ集団殺害を許すな



イスラエル軍がガザ制圧に向け、大規模な地上侵攻を開始した。なぜこのようなイスラエルによる国家的蛮行、集団殺害行為を国際社会が止めることができないのか。
私たちが平穏に暮らしている現瞬間においても、ガザでは市民が無差別に虐殺される危険にさらされ、そして殺され続けている。
今日のしんぶん赤旗では、国連の独立国際調査委員会のピレイ委員長が、イスラエルのこの蛮行について「国際社会は沈黙してはならない」と強調し、「行動しなければ結果的に共犯だ」と訴えた。
目をそむけたくなるような地獄が広がっているガザだが、だが本当に目を背けてしまったら私も『共犯者』になってしまう。絶対に共犯者だけにはなるまい。なすすべもない無力感に苛まれる日々だが、「イスラエルはガザ市民の殺害をやめよ」の声をあげ、行動しなければ、と思う。
100字で未来社会論(続編)
「社会主義・共産主義になったら民主主義が抑圧される?」だの、「自由がなくなる?」だのといった議論に対し、日本共産党はこれまでも「社会主義・共産主義社会においても自由と民主主義はしっかり尊重される」と説明してきました。このことについて、以前の私はその論拠を日本共産党の「綱領」であるとか、1976年に党が発表した「自由と民主主義の宣言」等に求めていたような気がします。つまり「旧ソ連や中国などの『共産党』と日本共産党とはまったく違う」という立場です。しかし今、私の新たな理解としては、「資本主義のもとで自由と民主主義が発展するからこそ、その価値観が次の新しい時代の扉を開く主体的な力となる」という結論に至りました。
そう考えると、資本主義社会のおかげでせっかく自由や民主主義といった価値ある概念が確立し、そのことによって社会主義社会へと移行する条件が近づくというのに、そんな段階になって価値ある概念を破棄するなんてことは、到底起こり得ない話ではないでしょうか。つまり未来社会において、自由と民主主義を放棄することなど、(仮にそうしたいと考える勢力が出てきたとしても)できるはずがないのです。民衆の英知が許さないはずです。これが社会の法則的発展方向というものです。
・・・・・というのが私の現在の理解の到達点なのですが、これでよいのかな?
あ、そうそう。ついでに付け加えると、「では、なぜ旧ソ連や中国はあんな国になったんだ」というご指摘の声がもしかしたら出てくるかもしれません。マルクスが描いた社会主義・共産主義の定義に照らして考えると、どう見てもそれらの国は、そもそも社会主義・共産主義とは全く異なる国家であったとしか言いようがありません。発達した資本主義のもとでの高度な生産力もなければ、議会制民主主義も存在しない。民衆の人権意識も育っていない段階で、人間が自由に処分できる時間を十分に獲得していたとは到底言えなかったはずだからです。こんな状況で社会主義国家が形成できるわけがありません。
100字で未来社会論
どうやら、私なりに学んできた社会主義・共産主義の概念というものは、その魅力の一部一部を断片的にしか理解できていなかったような気がしています。
志位議長の講演を聞き、マルクスはなんと素晴らしい未来社会(社会主義・共産主義社会)を展望していたのかと、深く感動しているところです。
まだまだ理解は浅いのですが、私は今、マルクスが描いた未来社会はこんなに素晴らしいんですよ、という事を皆さんにお伝え出来ないものか、という思いに駆られています。
そこで、『100字で未来社会論』を語ることに挑戦してみました。もしかしたら多くの方から「わかってない」とお𠮟りを受けるかもしれませんが、その際はご意見、ご助言をお寄せいただきますようお願いします。
マルクスが描いた未来社会(社会主義・共産主義社会)とは‥‥
「利潤第一の社会を乗り越え、生産力の発展により労働時間の大幅短縮が実現される。一人一人が自由に自分の個性や能力を伸ばし、発揮できる時間が増大し、ひいてはそれが社会の発展につながるような社会が形成される。」
というものです。このような未来社会を導き出す根拠として、マルクスやエンゲルスは終生にわたり膨大な研究を積み重ねていったのだと思います。いやすごい。
旧ソ連や中国などが、社会主義・共産主義社会とは似ても似つかぬ、全く別物の体制であったという事もますます理解できたところです。
長男、成人の日を迎える

光陰矢の如し。
末っ子の長男が、本日成人の日を迎えました。
ガキンチョだった長男も、いっちょ前に仕事について頑張っています。
どうか世界が、すべての若者の未来に希望の光を照らす社会へと発展していってほしい。
その願いを込めて、もう少しおじさんたちもできる限りの努力をしたいと思います。
ちなみに写真はうちの息子ではありません。みんな私です。
立野ダム建設、支離滅裂な国交省の説明
バタバタしておりましてなかなか市民の皆さんの取り組みに参加できていないのですが、16日は立野ダム建設の問題に関し、「立野ダムによらない自然と生活を守る会」による国交省事務所への申し入れに同席させていただきました。

(写真・記事は12月16日熊日新聞)
放流孔の閉塞問題に関し、国交省は「模型実験では、流木が流れ込んでもダム湖の水位が上昇すれば流木も浮き上がるので放流孔に流木が閉塞することはない」と説明しています。
そこで私は、「それでは湛水試験で、緊急放流の際に非常孔からオーバーフローするであろう流木を流し落とす試験をおこなうのか」と質問しました。すると国交省は「上から流れ落ちるというより、常用の排水孔を通過してくる流木を下流で捕捉する施設を検討している」と回答。
はあ?だって流木は浮き上がるって、今あなたがおっしゃったじゃないの。それに常用の排水孔は7月の大雨で土砂がスクリーンにつまりまくっていたのに、流木は詰まらずにスクリーンも通過して流れちゃうんですか?実に都合よく流れるもんだ。
いずれにせよ、その流木捕捉施設とやらが無事に下流域の安全を確保できるのかどうか、真剣な検証が必要だと思いますね。
今回のお話し合いでも相変わらず、国交省側は「本省に伝える」という機械的な回答に終始していましたが、それは、思わず回答しちゃうと、とんでもないぼろが出てくるからなのかもしれません。

