震災レポート②

 レポートの続き。
 16日午前1時過ぎ、ペットボトルの水で体を拭き、寝床に付こうと二階への階段を上がっていたその時、「本震」が襲いました。左右両方の壁にたたきつけられるほどの激震。「家がつぶれる!」と感じましたが声も出ませんでした。家は停電、幸い家は倒壊をまぬかれました。激しい余震が断続的に襲ってきます。家の中にいては危険だと考え、カミサンと息子は職場である病院に避難。私は避難所を訪問し、起きていた方々に声をかけて渡鹿の自宅に戻りました。横になりましたが余震が発生するたびに恐怖にさいなまれました。
 明るくなり、近所の様子をひとまわり歩いて確認。ご近所のBさんの元気そうな表情を見て安心。
 前日ご一緒した田村貴昭衆院議員が急遽再び熊本に来ていただくことになり、まず前熊本市議の益田牧子の案内で春竹小の避難所やその周辺で被災者の方々らのお話をうかがいました。
 その後熊本市の災害対策本部を尋ね、口頭で被災現場の要望をお伝えし、宇土市を訪問。市役所が半壊被害を受けたため災害対策本部のテントが駐車場に張られていました。
 宇土小、鶴城中学など避難所を訪問し、高齢者や赤ちゃんを抱えて避難されたご家族からお話を聞かせていただきました。
 水俣・芦北の党組織の皆さんが、真島省三衆院議員とともに渡鹿の集会所に避難されている方々のために食料を届けてくださいました。心から感謝・感謝です。
 17日、仁比そうへい参院議員が熊本入り。一緒に県の災害対策本部を訪ねました。エレベーターがストップしているため10階まで階段を上がり、この間の調査活動の中でまとめた要望書を提出。職員の皆さんの懸命の活動の邪魔にならぬよう早々に退出しました。
 その後西原村南阿蘇村をたずねました。西原村では田島敬一村議がお母さんを亡くしたばかりにもかかわらず、調査活動に同行してくださり、被害が大きかった布田地域など一緒に訪問しました。
 その後、トンネルや橋が壊れているため大きく迂回して南阿蘇村に入り、避難所となっている総合福祉センターを訪ね、お話をうかがいました。
 党本部に帰って災害対策会議に出席。会議終了後、避難所を回って食料や物資を届けました。
 届けるものがなくなったため本日の活動は終了。党事務所に帰るとなんと益田牧子さんがカレーを作ってくださっていました。しかも肉入り!益田さんのパワーと気遣いには驚嘆するばかりです。