2016年4月14日(熊本地震前震発生)の日のこと

f:id:yamanob:20190325152216j:plain

  24日、田村貴昭衆院議員が来熊。ご一緒に街頭演説もしていただきました。
 田村さんは、いつもの名調子の演説の中で、熊本地震発災の日のことを紹介してくださいました。
 その日の記憶はいまも鮮明に記憶していますので、ここで紹介させていただきます。

  2016年4月14日の夜、自宅のパソコンを使って作業をしていたときに、私がいままで経験した中で最大の揺れに見舞われ、目の前のパソコン画面がひっくり返りました。
 「これはただ事ではない」。 そう感じた私はすぐに防災服に着替え、近所の様子を見て回りました。多くの方が家の外に出ておられました。多くの余震もあり、家の中にとどまる事に不安を感じられていたのです。あちらこちらの駐車場や公園等では、話し合っている人、ひとり立ちすくんでいる人、しゃがみこんでいる人など、人々が集まっていました。さいわい、そう寒くはありませんでしたが、高齢の方など、体調面に配慮が必要ではないかと見受けられる方も少なからずおられました。
 私は自治会長さんに電話をし、「地元の集会所をとりあえずの避難所として開放できませんか」と相談。自治会長さんもそのつもりで準備をしていただいていました。 私は「いま集会所を解放していただいています」と、屋外におられる方々に声をかけて回りました。 「毛布が足りない」、との情報が入った私は、熊本市に電話し、対応できないかと相談しました。市の方もあちこちからの電話対応に追われている様子でしたが、どこでどんな問題が発生しているかを掌握していただくうえでは、大切な連絡だったのではないかと思います。
 そんな最中に、前県議の松岡徹さんから電話が入りました。「益城町が大変な事になっているようだ」。
 私は益城町に車を走らせました。 益城町にさしかかろうとするあたりで、明らかに町並みの様子が変わってきました。傾いた家が見受けられます。倒壊してしまった家屋もあります。街灯は消え、懐中電灯を持った人らが話し合っています。道はあちこちで亀裂が生じ、通行止めに。まず知人宅に向かおうとしたのですが、うら道も含めてたどり着く事さえもできませんでした。
 田村貴昭さんからの電話はそんな時にかかってきました。やり取りの詳細は記憶しておりませんでしたが、田村さんは翌日の朝一番の便で熊本に駆けつけてくださいました。その後も連日熊本に入って下さったことは本当に心強くありがたい支えとなりました。

 熊本地震によって、私はずいぶんと多くのことを経験し、学びました。それは今後の活動に生かしていかなければならないと思っています。