もはや立野ダムは必要なし ・・・ 熊本市長選を前に、ダム学習会

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 熊本市長選挙がせまる24日、「いのちとくらし・平和を守る熊本ネットワーク」で、立野ダム問題についての学習会が開催されました。
 私も報告者の一人として、報告をさせていただきました。

 いま、毎年のように、というか年に何度も、これまでに経験した事の無いような豪雨災害に日本列島は見舞われています。ダムは、あくまで想定内の降雨であれば、洪水調節機能の一端を担えるかもしれません。けれどもそれは、あくまでダムの許容量の範囲内であります。
 ダム湖の貯水が満杯になれば、ダムは決壊という大惨事の事態を回避するために、たとえ豪雨が降り続き下流の河川流量がギリギリの状況であったとしても、緊急放流せざるをえなくなります。そしてそれは、鬼怒川、小田川などで実際におこなわれ、下流域は堤防が決壊し、住宅が押し流されました。尊い人命も犠牲となりました。
 こうした事態を受けて、いま国交省には重大な問題が突きつけられています。それはダムを含む総合的治水対策というやり方の危険性です。
 ダムを含む治水対策の考え方は、まず河川の上流でダムにより一定の流量をカットします。そのため下流に流される水位が下がります。その結果、下流の堤防は下がった水位の分だけ低く作れるというわけです。
 ところが現実には「緊急放流」という事態が起こりうるわけです。実際に起こっています。その際、ダムの洪水調節を前提として下流の堤防を低くしていたら、大規模な水害が引き起こされるのは当たり前の事です。堤防を低く作っておきながらダムを緊急放流させる行為は、重大な行政の不作為として責任が問われる事態にならざるをえません。ということは、ダムの緊急放流を想定し、それでも洪水から下流域を守れる堤防を作っておくことが、行政の当たり前の務めであると言えるでしょう。
 ん? ちょっと待ってください。 ダムの洪水調節機能が失われることを想定して堤防を整備しなければならないということは、そもそもダムを作る必要が無いという事ではないですか。 何でわざわざ数百億から一千億を超えるような莫大な事業費をかけて、ダムを作る必要があるでしょうか。
 国交省は、「ダムがあれば洪水調節が働いている間、住民が避難する時間を稼ぐことができる」などと説明します。私はこれはとんでもない議論だと思います。皆さん、例えばそうした事態を想像してみてください。 ダムが刻々満水に近づいている。緊急放流がなされる前に住民らは避難を完了した。そこでダムの放流。押し寄せる濁流により堤防は決壊。住宅は押し流され、町は壊滅状態。それでも、「ダムがあったおかげで住民は避難する時間がありました。ダムよありがとう」なんて事になりますか? 冗談じゃありません。ダムの緊急放流に耐えうる堤防を整備しておくべきことは当然であります。 ダムの洪水調節機能が無いものとして、堤防を作らなければならないということは、そもそもダムは無くてもよいということではありませんか。 治水対策としてのダムの役割は、もはや完全に否定されている状況だといわなければなりません。
 立野ダムの場合は穴あきダムだから、そもそも緊急放流という機能は無いといわれるかもしれません。それでもダムが満水になれば、オーバーフローして洪水調節機能が失われることには変わりありません。「レアケース」などと言い逃れをして堤防建設をサボることは許されないわけであります。