「想定外」を想定してはならない、立野ダムの安全神話

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 20日、立野ダムを考える模擬・住民討論集会に、「県議の会」のメンバーの一員として参加し、発言もさせていただきました。
 集会の中で明らかになったことは、ダムは決して「想定外」を想定していない事。
 つまり、「もしダムの放流孔が流木等で詰まってしまったらどうするのですか?」・・・・・・・答えは、「放流孔が詰まることはありません」
 「もし、ダムサイトの右岸と左岸が、地震活断層が動き、ずれが生じたらどうなるのですか?」・・・・・・・答えは、「そうした場所にはダムは作りません。立野ダムの場合、右岸と左岸がずれることはありません」。
 なぜ国交省がそんな回答ばかりを繰り返すかというと、それ以外の回答が無いからです。というか、そうした事態が発生すれば、対処できない。どうしようもないということを示しています。
 だから、彼ら国交省は、「穴詰まりはしない、ダムの両岸は動かない」と回答するしかないのです。
 「だけどもしつまったら? もし右岸、左岸がずれてしまったら? どうするんですか?」 ・・・彼らはあくまでこう答えます。「そのような事態は起こりえません」
 これは言わば、原発安全神話と同じです。想定外を想定できない、ダムの決定的欠陥というべき問題です。
 けれども、私はこうした構造物は、万万が一の事態が発生した際にも、あくまでも安全に事態の収束を図るように設計されていること、所謂「フェイルセーフ」こそが、絶対に欠かしてはならない鉄則だと思います。フェイルセーフが保障されていない危険な構造物は、つくるべきではありません。

 あ、もう一つ、安全神話がありました。「立野ダムによって過去最大級の洪水に対応できる」といいますが、もしも過去最大級を超える、100年に一度、200年に一度の大雨が降ったらダムはどうなるんですか?
 彼らは多分、こう答えるでしょう。「そのような洪水が発生することは想定していません」

 想定外の事態が発生したら、ダムはもうお手上げ。対応できないのです。むしろ取り返しのつかない大惨事をもたらしかねません。これも原発安全神話と共通しているかもしれません。
 しかし、もしそのような状況に陥ってしまったら、一体誰が責任を取るんですか?