平田機工の思い出(ルネサス申し入れに関連して)

 

 あだちさん、コメントありがとうございます。

f:id:yamanob:20130306144641j:plain 確かに私は大学卒業後、平田機工に入社し、当時熊本市大江渡鹿にあった技術研究所に所属していました。けれども「エンジニア」などと呼んでいただけるような立派な仕事はできておりませんし、そのような分野で活躍されている人たちに大変失礼なので、技術者としての考察などというものはご勘弁願いたいと思います。 

 だが、平田機工といえば懐かしい思い出も浮かんでくるので、今日はその話を。

 

 それは私が平田機工を退社した時の話。

 私は平田機工の5つの社訓(平田機工は、①人を活かす ②技術革新に努める ③人間尊重を貫く ④社会に貢献する ⑤顧客を優先する)に心酔し、平田耕也社長(当時・故人)が発する言葉一つ一つにもやる気と情熱を駆り立てられていた。だが政治革新の運動にのめり込む中で次第に仕事と活動の両立ができなくなり、退社することを決意した。入社当初は「自分の力でこの会社をもっとでかくしてみせるぞ」などと思い上がっていただけに、一面では無念の思いもあった。

 せめて社長に感謝の言葉でも申し上げて辞めるのがスジだろうと、(今考えてみると無謀な行動だが)社長に面会に行った。ペーペーの一社員のくせに。

 アポなしの突然の訪問。だがたまたま在室だった平田社長は快く面会に応じ、ご自身の若かりし頃の思い出など、もろもろの話をしてくださった。最後に「君の新しい人生をがんばりなさい」と握手も。大切な思い出だ。

 平田機工の新しい技術開発などの記事を見かけると、いまでもうれしい。当時の仲間や先輩方の顔が浮かんでくる。皆さんの活躍と社のますますの発展を願っている。