お聞き苦しい声で失礼
3日の特に夕方以降、私の街頭演説に遭遇された皆様、お聞き苦しい声で大変失礼しました。
選挙戦になると気合が入りすぎて、いつも声をつぶしてしまいます。
明日からはまた、どうやら声が出そうです。
今日は、長女がアナウンサーとして乗車してくれました。
ひごろ娘から怒られてばかりですが、一大事の際に協力してくれるのはうれしいものです。
2016年4月14日(熊本地震前震発生)の日のこと
24日、田村貴昭衆院議員が来熊。ご一緒に街頭演説もしていただきました。
田村さんは、いつもの名調子の演説の中で、熊本地震発災の日のことを紹介してくださいました。
その日の記憶はいまも鮮明に記憶していますので、ここで紹介させていただきます。
2016年4月14日の夜、自宅のパソコンを使って作業をしていたときに、私がいままで経験した中で最大の揺れに見舞われ、目の前のパソコン画面がひっくり返りました。
「これはただ事ではない」。 そう感じた私はすぐに防災服に着替え、近所の様子を見て回りました。多くの方が家の外に出ておられました。多くの余震もあり、家の中にとどまる事に不安を感じられていたのです。あちらこちらの駐車場や公園等では、話し合っている人、ひとり立ちすくんでいる人、しゃがみこんでいる人など、人々が集まっていました。さいわい、そう寒くはありませんでしたが、高齢の方など、体調面に配慮が必要ではないかと見受けられる方も少なからずおられました。
私は自治会長さんに電話をし、「地元の集会所をとりあえずの避難所として開放できませんか」と相談。自治会長さんもそのつもりで準備をしていただいていました。 私は「いま集会所を解放していただいています」と、屋外におられる方々に声をかけて回りました。 「毛布が足りない」、との情報が入った私は、熊本市に電話し、対応できないかと相談しました。市の方もあちこちからの電話対応に追われている様子でしたが、どこでどんな問題が発生しているかを掌握していただくうえでは、大切な連絡だったのではないかと思います。
そんな最中に、前県議の松岡徹さんから電話が入りました。「益城町が大変な事になっているようだ」。
私は益城町に車を走らせました。 益城町にさしかかろうとするあたりで、明らかに町並みの様子が変わってきました。傾いた家が見受けられます。倒壊してしまった家屋もあります。街灯は消え、懐中電灯を持った人らが話し合っています。道はあちこちで亀裂が生じ、通行止めに。まず知人宅に向かおうとしたのですが、うら道も含めてたどり着く事さえもできませんでした。
田村貴昭さんからの電話はそんな時にかかってきました。やり取りの詳細は記憶しておりませんでしたが、田村さんは翌日の朝一番の便で熊本に駆けつけてくださいました。その後も連日熊本に入って下さったことは本当に心強くありがたい支えとなりました。
熊本地震によって、私はずいぶんと多くのことを経験し、学びました。それは今後の活動に生かしていかなければならないと思っています。
若者の名簿提出を求める自衛隊に積極的に応じる熊本県
熊本県は、自衛官募集に関して若者の名簿を「紙媒体」で提供することについて、配慮するよう求めた要請文書を各市町村に通知しています。
もちろん、名簿提供の要請に市町村が応じる義務は、さすがにいくら安倍政権のもとでも強要できるものではありません。だから全国の自治体で紙媒体での名簿提出に応じているのは3割程度にとどまっています。
これは当然のことで、住民基本台帳法では、個人情報保護の観点が貫かれ、政府機関の事務の遂行に必要な場合でも閲覧しか認めていません。これを「紙媒体で提出せよ」とせまる自衛隊のやり方は、乱暴に地方自治、個人の人権を踏みにじる行為です。
しかし熊本県が市町村に、自衛隊の要請に配慮を求めているため、なんと9割の県内市町村が名簿提供に応じています。県が果たしている役割は重大であると言わなければなりません。
そうしたことから25日、熊本県知事にたいし、抗議と通知の撤回など要請する申し入れをおこないました。
申し入れ全文はホームページ「日本共産党 山本のぶひろ」で紹介しますのでご覧ください。