水俣病被害者の方から聞き取り

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 15日、市田副委員長(参院議員)や松岡勝県書記長(比例予定候補)らとともに、水俣病被害者の方からのお話をうかがいに、水俣市に行ってきました。
 国は水俣病の被害を小さくするために、地域や年代で線引きし、対象に収まらないところには水俣病被害者は存在しないとの見解です。
 この日、お話を聞かせていただいたお二人はいずれも1969年12月以降に生まれた方で、特措法でも救済されませんでした。茶碗や鍵など、手に持っているものをすぐに落としてしまうことや、めまい、耳鳴り、ものごとに集中できない等からだの不調を訴えられました。「親とか、人に頼らないと生きていけない、生きていても仕方がないと思う」とのお話に胸が痛みました。
 公式発見から60年の年月が経過してなお、救済されない水俣病被害者が多数埋もれている実態に、加害者である国、県、チッソは胸が痛まないのでしょうか。このまま幕引きは許されません。

被災者の立場に立って考える事

 熊本県は一部損壊の世帯にたいしても、(条件付ですが)義援金の配分を決めました。また宅地被害の復旧にたいし、基金を活用して県独自の支援制度を創設しました。
 これらを聞いた当初は、私たちの提案が実ったものだと歓迎したのですが、課題も生じているようです。それは給付を受ける際の申請の方法が、領収書の添付が義務付けられているということ。
 そうすると義援金の配分を受けとろうと思えば(それも100万円以上の修理でなければ認められないのですが)、まず修理をしなければなりません。一部損壊と判定され、修理したくてもお金がなくてできない・・・・というご家庭でも、支払うためのお金を準備しないといけないという事になります。これはとても使いづらい制度だということにならざるをえません。
 宅地復旧の場合も同様。数百万円から一千万円を超えるような被害でも、まず現金を支払わないと支援がうけられません。
 県は当然ながら熊本地震の被害の実態に鑑み、支援の拡充を決断したわけですが、もう一歩被災者の立場に立つならば、見積書、あるいは請求書でも申請できるというようなやり方にできなかったのでしょうか。
 県にお尋ねしたところ、「東日本など他県の運用を参考にした」「実際に支払われた金額との違いが生じてはいけない」「金融機関から一時的にお金を借りれば」「実施主体である市町村が、申請者とよく相談して制度を活用していただければ」などの説明をお聞きしました。
 実際に支援制度が作られたのに、その支援を本来ならば受給する資格がある方がおられるのに、支援が受けられない。そもそも制度をつくる際に、本当に当事者の立場に立って運用要綱が策定されたのだろうかという疑問もあります。また支援を受けたくても受けられないという方がおられるのならば、どうすればいいのか、そこまで考えて運用を改善する、あるいは被災者ひとりひとりをサポートして制度を受けられるよう援助する、そんなきめ細かさが行政に不足しているように思います。その穴を埋めていく事が私たちの課題でもあります。

おわびいたします

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 しまった! つい先ほど、午後からの会議の予定を思い出しました。
 みなさんごめんなさああい! お許し下さい!
 
 で、本日は「ホワイトデー」とやらの日とのことで、そんなわけでカミサンに生チョコ買いに行ったのでした。
 まあ、こんな日があってもいいか。 
 …あ、いや、やっぱだめですね。本当すみません。

3・13重税反対集会

 熊本市東町公園でおこなわれた重税反対集会に参加しました。
 今年は県内11ヶ所、全国的には500ヶ所20万人の参加を目標に取り組まれたそうであります。
 今なお熊本地震からの再建の見通しがたたない方も多くおられます。森友学園問題では国民の財産である国有地を8億もまけてあげるのに、中小企業に対してはますます強権的取り立てを強めています。
 困っている人に庶民増税を押し付けるのでなく、まず大もうけしているところから、その儲けに見あった税金をとりなさい!
 無駄遣いや不正にメスを入れ、被災者の生活再建や生業再建に税金を使え!
 …、と、思わずあいさつにも力が入りました。

 今日(3月11日)は地元帯山中学の卒業式に出席させていただきました。いつもながら帯中生徒の皆さんの合唱には感動させられます。新たな活躍の場へと巣立っていく若人たちに幸多かれ!
 昼は共産党が毎週土曜日におこなっている繁華街宣伝に参加しました。おりしも本日は東日本震災から6周年。NHKでは災害救助法の問題や原発事故からの帰還問題をめぐる住民間の亀裂について特集番組が報道されていました。
 東日本震災と福島原発事故によってもたらされた深い傷をつくづく感じます。熊本地震を経験した私たちも、地元の被災者の皆さんの実態に寄りそって頑張るとともに、その教訓に立って国や自治体の支援制度の改善を進めていくことが大事だと再認識しました。

「正しい」? 「優しい」?

 カミサンに誘われ、映画「恋妻家宮本」を見に行きました。本音を言うと、この忙しい状況下をわかってんのかと少し消極的気分だったのですが、映画館で睡眠時間を確保しようかなと思い直し、行くことにしたのでした。
 で、すごく映画に感動。おすすめですよ皆さん。 

 ところで今朝、朝ごはんの準備をしながらニュースを聞いていると、森友学園の籠池理事長が教育持論を滔々と論じておられました。わたしは籠池さんの話を聞きながら、映画「恋妻家宮本」の中で主人公の宮本さんが語っていた言葉をふと思い出しました。
 それは、「正しい」と「正しい」がぶつかったら戦争になる。だけど「優しい」と「優しい」がぶつかっても戦争にならない」といった意味合いの言葉です。籠池さんは、まさにいま、ご自身が「正しい」と思うことを振りかざしているんだなと思いました。
 籠池さんはご自身の教育持論を何としても貫徹させたいとの思いがあったのでしょう。けれども、もし「正義を実現するためには多少ルールを破っても大きな問題ではない」と考えておられたとするならば、それは大きな間違いです。
 戦前の日本はまさに「正義」を振りかざし、それに反する思想を弾圧し、戦争への道へと突き進みました。戦後はその痛苦の教訓に立って新しい憲法がつくられ、思想信条の自由、個人の尊厳などがうたわれました。
 ああそうか、映画でいわれた「優しい」を政治的・制度的にに体現したのが現憲法なのではないでしょうか。
 「優しい」と「優しい」がぶつかっても決して戦争にはならない。日本は素晴らしく「優しい」宝物を持っているんだなと思った朝でした。

大井手のホタル復活へ

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 9日、熊本市渡鹿の「大井手を守る会」の皆さんと一緒に、玉名市岱明町の「ホタルの里」に行ってきました。
 大井手は、およそ400年前に加藤清正によって作られたといわれている農業用水路で、白川の水を渡鹿堰から取水し、今もなおその役割を果たしています。地元渡鹿の皆さんは、およそ40年前からこの大井手を「ホタルが飛び交い、地域に親しまれる水辺として整理しよう」と、日常的に清掃活動など続けています。熊本市中心部の水辺でホタルが飛び交うこの大井手は本当に大切な場所ではないかと思います。
 大井手に隣接する北原公園にはホタル小屋が作られ、ホタルの幼虫やホタルの餌となるカワニナが育てられていました。しかし熊本地震によって汲み上げていた水が出なくなったことや、龍神橋の架け替えにともなう取り付け道路の整備などで公園場所が変わるなどの事情により、ホタルを育てる取り組みを一からやり直さなければならなくなったのです。
 「岱明町ホタルを育てる会」の皆さんの取り組み、ホタルの里の見事な施設に衝撃をうけました。帰りの道中ももっぱらホタル談議。みんなで頑張ってぜひ大井手のホタルを復活させましょう。